安楽死が認められていない日本で、安らかに死ぬる方法は本当にないのか?

どうも、ナースあさみ(@asami300765)です。

 

 

今回は完全に医療寄りの内容
しかも、安楽死についてです。

 

先日、このツイートみてから
ずっと考えています。

 

 

安楽死とは・・・

人または動物に苦痛を与えずに死に至らせることである。
(出典:ウィキペディア)

 

医療者の感覚でいうと
致死薬を投与することですね。

 

ちなみに安楽死(積極的安楽死・介助自殺)は
日本では認められていません。

なので、致死薬を投与するところを
日本ではみることができません。

 

 

これをふまえて腫瘍内科、緩和ケアの西先生(@tonishi0610 )の見解はこちら。

私も、安楽死に反対です。

 

こういう倫理観に関する問題が好きで
学生時代も相当論文を読みましたが
私も、現時点では安楽死には反対です。

理由は・・・

 

1、緩和ケアが十分に展開しているとはいえないから

そもそも緩和ケアとは?という人もいると思いますが
文字通り、症状や障害を緩和する目的で行われるケアです。

手術や処置といった根本的な治療ではなく
痛みや辛さの緩和、改善が主な目的のため
治療を受けたからといって完治することは絶対にありません。

 

具体的には

がんになりました→手術してとりましょう
というのプロセスが根治的治療と呼ばれるのに対し

がんになりました→痛みや辛さを緩和しましょう
こういうプロセスが緩和ケアと呼ばれます。

 

 

一般の方の間では
いまだに

緩和ケア=何もできることがなくなった時の最後の手段

と、考えている人が多いと思いますが
それは大きな間違いです。

 

本来、緩和ケアとはその人らしさを支えるケア。
そのため、がんや不可逆的な病気の診断がついたその時から
開始するのが理想的、と言われています。

 

 

 

しかし

実際の臨床現場で
治療初期段階から緩和ケアを導入している人は
ごくごく稀です。

 

なぜなら

 

  • 患者・家族がもう死ぬってこと?とという見捨てられ感が拭えない
  • 外科医の『緩和ケアよりも手術が優っている』という変なバイアス(価値観の偏り)のせいで連携ができない
  • 緩和ケアに関する十分な教育を受けた医師・看護師が少ない
  • 緩和ケアは治療の効果・成果を量的にはかるのが難しい

このようにみると
医療者の中にも緩和ケアに対し肯定的な認識をしていない人もいるので
いざ患者さんに説明・紹介する時にさらにバイアスがかかり
おかしなことになるんです。

 

2、医療用麻薬に対する世間の目が厳しいから

緩和ケアで使用する特徴的な薬に医療用麻薬があります。

これは医師や薬剤師の管理のもとで安全に使用できるものです。

 

 

しかしながら

女優の高樹沙耶さんの件で広まった合法麻薬という言葉や
合法ドラック使用による相次ぐ事故のせいで

世間的に麻薬=悪いもの
というイメージがついてしまいました。

 

そのため、がんの患者さんに

ナースあさみ

明日から医療用麻薬といって、少し強い痛み止めが始まります

と説明しにいくと

患者さん

麻薬?そんな薬飲みたくないわ。頭がおかしくなりそう…

と、言われることも珍しくありません。

 

もちろん、強い薬のため人によっては
便秘や眠気といった副作用が出てしまうこともあるんですが
そういう症状がでることはある程度予測できます。

 

そのため、医療用麻薬を使用する時は
便秘にならないように
眠気がでないように
過度に効きすぎたりしないように
他の薬と併用して使用することが多いです。
(むしろ内服の医療用麻薬を単独で処方している医者は無知だと思っていいです…)

 

3、安楽死がOKだとして、致死薬を投与する医師へのサポートが整っていないから

日本の歴史、宗教、文化的な背景全般が絡んでくると思うのですが
実際に、安楽死がOKになったとして
その施術をすることになる医者に対して
法的、かつ、精神面のサポートを整備してくれるんだろうか?
と考えてしまいます。

 

現状でさえ、医療ミスやインシデントを起こした際に
医師や看護師に対してのサポートは決して十分ではありません。

その人たちの人格や育ってきた環境にケチをつけてくる人もいますし
事実と真実の違いを履き違えている人も多くいます。

病院側も
ミスやインシデントを起こさないようにする仕組みや体制の検討ではなく
ミスをした個人が悪い、と結論づけてしまうことが多いんです。

そういう文化の中で、安楽死がOKになったら
医者は人を助ける仕事ではなく殺す仕事だな!
という、意見やクソリプが飛んでくることが簡単に予想できます…

 

ただでさえ
医師は心も身体も消耗する仕事なのに
追い打ちをかけるだけになりそうですよね。

 

4、日本では死生観を育む機会が少ないから

教育の中で
人としてどう生きるべきかを考える学問は道徳・倫理になりますが
受験で勝つことの優先順位が高い日本の中では重要性の低い学問です。

 

センター試験の受験科目の中には倫理がありますが
倫理が好きで選んでいる学生は果たしてどれくらいいるんでしょうか…?
おそらく一番点が取れるからという理由で
選んでいる人が多いのではないでしょうか。

 

加えて

  • くさいのものには蓋をする
  • 縁起の悪いことを好まない
  • ハレとケの文化
  • 無宗教の人が多い

日本には上記のような特徴があり
死を語ることをタブーとするような雰囲気がいまだにあります。

こういう背景から
親族の死、ひいては自分の死について考える機会が極端に少なく
結果として、死生観が育たないまま高齢者になってしまった人が多くいる現状があるのだと思います。

 

 

 

では、どうしたらいいの?

 

 

安らかに死ねる方法があるとしたら・・・

西先生のツイートや幡野さん(@hatanohiroshi )の投稿をみて
私なりに安らかに死ぬ方法がないか考えてみました。

 

 

一つだけ方法があるとしたら

 

 

 

救急車を呼ばないことです。

救急車を呼ぶ=全力で医療を受けたいという意思表示になるので
それをしない、という洗濯をするんです。

医療の介入がないので
それはもう安らかに逝けます。

事件性がないことを証明しなくてはいけないので
住んでいる家や周りへの迷惑は多少かかるでしょうが
遺体が腐敗する前に発見されればいいわけですしね。

 

壁があるとしたら家族や大事な人。

 

意識がなくなったあなたをみて
血を吐いているあなたをみて
苦しそうにもがくあなたをみて

 

どれだけの人が
救急車を呼ばないという
勇気ある選択ができるのか

 

これが最大の障壁になってきます。

 

日本人の多くがそうであるように
目の前の人が倒れたら救急車を呼ぶでしょう。

だって、生きていてほしいから。
相手が死んでいくのを看取る覚悟もないから。

倒れてる本人だって動物の本能として
生きたい!という願望があると思うんです。

 

残されるものはそれにうち勝たなくてはいけない。
それは、とても勇気と覚悟のいることです。

でも、私は臨床で
この勇気と覚悟を上手に使っている人もみています。

そういう遺族は家族の死を
変化する家族というコミュニティの1ステップ
として、捉えることができています。

 

 

さいごに

安楽死がいいか悪いか、なんて結論は
どう考えても導くことはできません。

その個人の考えによって
また、環境や状況によっても
最適だったと思える答えは変化し続けるでしょう。

 

けれども

 

自分ならどういう最期を迎えたいか

これを考えてみてください。
それだけでも
自分の、そして大事な人の人生に何かあった時に
かなり違うと思います。

 

 

ではまた。

 

 

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