医療現場におけるカンファレンス。
ざっくり言うとそれは
医療関係者で患者さんのことについて話し合う会議、となっている。
詳しくはこちら。
このカンファレンスには一般の会議と大きく違うことがある。
それは
主役不在ということ。
つまり、患者さんのいないところで患者さんの会議が進められていく。
会議が進むこと=決定していくこと、になるので
患者さんの治療方針やこれから、大げさに言えば患者さんの人生のベクトルが本人不在で決められていくこととなる。
これ凄くないですか?
普通の会議で言えば
議題のない会議みたいなもんだよね( ´・ω・` )?
表彰者不在の表彰式みたいなもんだよね( ´・ω・` )?
これについて、私はどうしても納得出来ないままでいる。
いろんな病院や医療機関が患者さん中心の医療を、と口では言っておきながら
カンファレンスでもIC(インフォームド・コンセント)でも、患者さんの意思を反映することなく
医療者の都合のいいように事が進んでいってる気がしている。
なぜなら、医療関係者にとって
患者さんの代弁者である家族が1番厄介だから、だ。
ここを納得させる、もしくはなだめることが再重要課題となってしまっている。
クレームやその先にある訴訟が死ぬほど怖いんだろうね。
病院は評判いのちだから。
例えば、認知症の患者さん。
これから先、認知力が落ちていき食べることもままならなくなった場合
胃婁(胃から栄養剤を投与するボタン的な)を作りますか、どうしますか?を決める時。
胃婁を作らなかったらそのまま衰弱して亡くなっていくし
胃婁を作ったら半永久的に栄養を投与し続けられるので介護期間が凄い伸びるよ、介護していく覚悟ある?お金大丈夫?という話。
ここでは患者さんは認知症=理解力がない、とみなされて
意思決定の場であるカンファレンスには参加する権利が最初から与えられないことが多い。
ドクターもナースも、面倒を見ることになる家族からの納得を寝るため一生懸命説明し教育する。
もはや、家族が主役。
患者さんのためにという名目のもと
家族が納得出来る
家族が楽できる
家族に負担のないようにという決定事項がなされるのだ。
もう、こういう場面を見る度に
被告人席に誰もいないままその人の懲役が決まっていくようなビジュアルが鮮明に出てきて
もう、いたたまれない気持ちになる( ´・ω・` )
カンファレンスで主役不在なんて日本くらいだよ。
欧米では考えられない。
日本人には決断力がない、と言われるのもこのせいなのかな?
さすがに、意識不明の人の意思は汲み取ってあげられないけれど
意識障害や認知症くらいならその人の意思を汲み取ることは出来るだろうし
汲み取ろうと努めることが医療者の大きな役割なんじゃないかと思ってしまう。
患者さんを中心に!を口だけじゃなくて
行動でも示せるようなカンファレンスを。
もういっそ、患者を囲んでみんなで腹割って話したらいいのにっていつも思う。
みんな建前だらけなんだもん(´;ω;`)
本音で話して
汚い部分やズルイ部分も共有して
患者さんがほぼ100%
ほとんどの関係者が70%くらいの納得感を得て
ケアをしていけるようになったらいいのに。
これを理想で終わらせないために
1回は今の病院でやりたいなー( ・∇・)
ではまた。
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