大切な人を失ったあなたへ。悲しみを癒す5つの方法とは

どうも、ナースあさみ(@asami300765)です。

 

小林麻央さん…
逝ってしまいましたね。

小林麻央さん死去 34歳 | 2017/6/23(金) 11:18 – Yahoo!ニュース

こういう時
ナースとして何かできないのかな
と、考えてみました。

臨床で多くの悲しみや死に直面する看護師たちが
自分たちを保つためにやっていることをシェアしたら
少しは報われるのかもしれない、と思い
ここに残しておきます。

 

ちゃんと悲しむ、しっかり泣く

矛盾しているようですがまずはこれ。
長期的に考えたら
最初にすべきはちゃんと悲しむことなんです。

泣いたらみっともないとか
恥ずかしいとか
家族の威厳がとか

もうそんなのどうでもいいです。

つらいとは思うんですが
人を失ってしまったという悲しみを
味わい尽くして下さい。

泣いて、叫んで、泣いて、泣いて
嗚咽で息ができなくなるほど泣いて下さい。
泣きつかれて寝てしまってもいいです。

と、いうのも
失った直後にしっかり悲しめるかどうかで
その後、その死を引きずる時間や深さが変わってきます。

身近な人ほど手続きやお通夜・告別式に追われ
心がおいてけぼりになって直後にちゃんと悲しめず
半年、1年と経ってから後悔する人もいます。

中には、身近な人を亡くしたことで
うつ病や適応障害になってしまう人もいます。

私、なんであの時泣けなかったんだろう……
悲しかったはずなのに、なんで?って。

 

補足ですが、私たち医療関係者だって
患者さんの死に慣れているとはいえ
悲しくて泣いちゃうこともあります。

現場で多いのは職員用トイレ、リネン庫、ロッカーあたりですかね。

目や鼻が赤くなっている看護師がいたら
こっそり泣いてきたのをマスクで隠しているのね、うんうん
と、思ってやって下さい。

なのでまずは
失った悲しみを感じて
しっかり泣いてくださいね。

 

過去や後悔と取引しない

人が死を受け入れようとする時のプロセスの中に
取引というプロセスがあります。
※詳細はキュブラー・ロスで検索してみてください。

ドラマチックに言うと
俺が死ねばこいつは助かるんじゃないか、とか
全財産をお賽銭としてぶっ込めば
もう少し生きれるんじゃないか、とか
そういう感じ。

過去の後悔や苦い思い出を昇華させれば
報われるんじゃないか、という
残された側のエゴですね。

でも、この取引で自分を守る方法は
あまりオススメしません。

患者さん、特にがんで闘病していた人って
病気になってから亡くなるまで
たくさん意思決定する機会があったはずなんですね。

手術じゃなくて抗がん剤にしよう
治療を頑張ることから
出来るだけ生活を安定させる方にシフトしようって。

そうすると

あの時のああしていたら、を繰り返すと
そのうちに過去の自分を自分で否定することになってしまいます。

 

なので、はじめのうちは
全然割り切れなくてもいい
納得できなくていいので

あの時ああしていて良かったんだ
あの人の生き様としてこれがベターだったんだ
肯定的に言い換えるようにしてみて下さい。

ちょっとだけ楽になりますよ、本当に。

 

しっかりしなくて大丈夫

誰かをうしなったあとって
しっかりしてね!って言っちゃうし
なぜだかしっかりしなくちゃ!
と思う人が多い傾向にあるんですが

全然しっかりしなくていいです。

むしろ、しっかりするくらいなら
ちゃんと悲しんでくれって思います。

ご飯を食べたくなかったら食べなくていいし
お風呂に入る暇がなければ入らなくても大丈夫。

誰かを失っても身なりが整ってキレイな人って
芸能人くらいじゃないでしょうか?

ああいう場面で自分を整えておくことって
相当の精神力がないと無理です。

 

困ってたり
弱ってたりしたら

必ず周りが助けてくれます。
だから、しっかりしなくて大丈夫。

そのための医療関係者であり
葬儀関連の人であり
身内であり友人ですからね。

しっかりしなくて大丈夫です。
あなたが亡くなった人を支えたように
誰かがあなたを支えてくれます。

 

亡くなった人についてたくさん語ろう

お通夜やお葬式、告別式など
亡くなったあとに執り行われるイベントって
その由来はたくさんあると思いますが

亡くなった人について話す場を持つ

これが一番の理由なんじゃないかと思っています。

その人が生きてきた歴史と物語をみんなで共有する。

いいことも悪いことも
笑えることも笑えないことも
お酒がすすむことも酔いが覚めるようなことも
たくさん出てくるかと思います。

そういうことを

誰かと話す・共有することで
自分の気持ちや後悔を成仏させようとする
このプロセスが大事なんだと思うんです。

実際に気持ちを昇華させたり
後悔が成仏するかどうかはわかりませんが
亡くなった人のために時間と手間とお金をかけて
お見送りするということ
そういうことなんだと思っています。

 

死を乗り越えなくていい

死を受け入れましょう
と言葉にするのは簡単ですが
実際にはこれほど難しいことはありません。

特に、テロや災害など
理不尽な理由で命を奪われたらなおさら。

一応、死を受け入れるケアの理論の上では
受け入れることが目標となっていますが
ここに到達する人、到達しようとする人なんて
ほとんどいません。

私も亡くなった患者さんで
忘れられないこと、後悔していることがたくさんあります。

8年前のことであっても
つい昨日のように場面が出てくるんです。

いまだにもっとああしたら良かったんじゃないか
こうしたら楽になれたんじゃないか、という相談を
先輩にしてるくらい。

 

私、亡くなった人って
空高く浮かんでいる風船のようだと思っています。

細く強い糸で自分とその人は繋がっていて
たまに手繰り寄せて風船の中身を覗き込む。

話をしたり泣いたりして
もう風船を膨らますことは出来ないんだなって実感して
また空高くところへ凧揚げするような感覚で戻してあげる。

だから、死は乗り越えるよりも
引き連れるくらいがちょうどいい
と思っています。

 

そのほうが、風船も嬉しいと信じて。

 

おわりに

生前どんな人であったとしても
患者さん一人ひとりにそれまで生きてきた歴史と物語があります。
残された人たちがどんなかたちであれ
それらを紡いでともに前へ進んでいけますように。

ではまた。

1 Comment

横井博也

私65歳独身男昨年母が92歳9月16日亡くなり、失ったことが乗り越えられない。毎日苦しくて、悔しくて勝手に涙が溢れてくる。なんで大切な人がなくなる人生の最後は残酷むごい!本人に病院で積極的な安楽死の薬くれないか、毎日どういう自死を、考えるが、なかなか死ねる勇気がでない母の一周期まで必ず死にます、、、、

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